壽聖院について

 当院は慶長4年(1599年)に石田三成が、その父である正継公の菩提寺として、当時学徳高き伯蒲禅師を院主に迎え創建したものです。
創建当時の壽聖院は、今日の敷地の四倍を有し、周囲には堀と土塀をめぐらし、本堂は壮大を究めました。客殿の軒先は金箔瓦で葺きあげ、さながら石田家京都屋敷の観を呈するものであったと伝えられています。
 
 しかし、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いにて、三成公率いる西軍は敗れてしまい、当院も縮小を余儀なくされます。境内はもとの四分の一の大きさとなり、壽聖院の北門であった門は妙心寺全体の北門として現在は利用され、当時の勝手口が現在壽聖院の正門として残るのみです。

 一度全て取り壊された建物はしばらくして建て直されました。また、本堂の前に広がる庭園は絵師狩野永徳が設計したもので、その景観は桃山時代より変わっておりません。庭園にある瓢箪池は、三成公の指示により、主君の豊臣秀吉公の戦勝の瓢箪印をモチーフに造られています。
 
 
2017年7月より2020年2月まで、本堂の大改修工事を行った際に出てきた当時の棟札には、「寛永8年(1631年)に壽聖院が再興されたことを祝す」と記されています。
本堂
客殿
狩野永徳の庭

 

石田正継像
 

 壽聖院では、三成公の父である正継公を描いた石田正継像をはじめとした文化財を所蔵しています。なお、石田正継像は土佐光信もしくはその弟子により描かれたとされ、平成24年5月に国の重要文化財として指定され、現在は模本を展示中です。
 
 また、宗亨禅師(長男重家)が三成にかかわる歴史を記した『霊牌日鑑』も当時の貴重な資料として伝わっています。
 
 他にも、三成公が朝鮮の役の時に当院住職 伯蒲禅師に送った袈裟と、その書状、壽聖院庭園を手掛けた狩野永徳屏風画や、海北友松の描いた「猿回し」の絵など400年の歴史を感じさせる様々な文化財がございます。
 
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妙心寺南総門
三門
仏殿

 当院は臨済宗妙心寺派であり、大本山妙心寺の塔頭寺院の一つです。

 妙心寺は京都市右京区花園にあり、1337年に95代花園法皇の勅願によって無相大師を開山とし、創建されたものです。境内の広さは13万坪を有し、七堂伽藍は整然としており、当院をはじめ46ヶ寺もの塔頭寺院が存在します。

 また、寺全体が史跡に指定され、その建築様式は勿論のこと庭園・美術品の多くが国宝、重要文化財に属しております。まさに京都随一の禅刹といえるでしょう。

 臨済宗は、中国に起源を持ち、発展しました。日本には鎌倉時代に栄西禅師が最初にもたらしたと言われております。
臨済宗の他に、曹洞宗、黄檗宗の三つをまとめて、日本では禅宗と呼ばれております。
 
 お釈迦様の正しい教え(正法)を受け継がれた達磨大師が禅宗の祖師であり、その後、臨済禅師へと受け継がれ、臨済宗が成立しました。臨済宗が日本に渡って様々な法系が成立していく中で、現在、十四派の本山が存在し、当院が属する妙心寺派もその一つです。
 
 お釈迦様から現在に至るまで受け継がれた一流の正法を教えとし、我々人間誰しもが本来そなわっている、尊厳で純粋な人間性(仏性)を自覚するのが我々の宗旨です。自覚をするために、坐禅や公案、読経、作務などの修行をおこないます。

壽聖院 第16代住職 西田 英哲(にしだえいてつ)

・1979年1月17日生まれ
・同志社大学法学部卒業
・10年間国家公務員として勤務の後、退蔵院にて得度
・大分県大分市萬壽寺専門道場にて修行
・2016年10月壽聖院住職就任